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音楽について

TopicUp Vol.5(乃木坂46, Lady Gaga, cero荒内佑)

初めて普通のブログ書きます。

それでも、ざっとスクロールしてらえればわかる通り、なんか普通じゃありません。普通のブログの定義もよくわからないんですけどね、実際。

簡単に言えばTwitterで呟いた刹那なこと、noteで書いた瞬間的にまとめたこと、他のサイトで見た特集や意見について、文字制限や時間によって要約せざるを得なかった事柄などに プラスαコメントしていこうと思います。

ブログって日常のことを綴る場だと思うんですが、ここではその延長線上で拡張した言葉をドンドン吐き出していくつもりです。

 

01. 橋本奈々未の卒業と年齢について

note.mu

noteにも書いたんですが、橋本奈々未の卒業によって乃木坂46、またアイドル全体における年齢と卒業の因果関係において新しい価値が見出されるような気がします。自分としても2016年のアイドルシーンを全て把握してないし、あくまで興味深いカルチャーアクションとして楽しんでいる者としてはあまり口出しできないトピックではあります。

今年になって運営側の不謹慎なニュースが多く、それに付随するようにアイドルカルチャー自体に見切りをつけるレコード会社も出てきた次第。AKBをオワコンとする人と、ここからがカルチャーとしてアイドルの本質が問われるとポジティブシンキングする人など、何が正解かはもう数年後の結果を見ないことにはわかりません。

2016年、売り上げだけの数字を見れば、文句なくAKB48がその人気を維持しているといえるでしょう。ただ、ご存知の通り、オリコンチャートやCD売り上げにおける数値と、アーティストの評価がイコールに結ばれる時代はとうの昔に終わっています。実際、クリエイティブな面で成功し、バラエティに富んだ活動でアイドルの価値を維持し牽引しているのは乃木坂46でしょう。個々で活躍する様は、各々がグループを離れた後も芸能の世界で夢を叶えられるであろう可能性で満ち溢れているように見えます。

アイドルの肩書きを失った後に芸能の世界でどう生き抜くか。1人の人生単位でこの問題は重要で、そこにはやはり年齢が関係してきます。

女性アイドルに限ったように見えて、SMAPの解散も含めた最大公約数のアイドル問題に年齢は関わってくることです。それは受容する者(リスナー、消費者、ファン)の世代にも因果関係があるはずで、自分も最近は聴いている・見ている人はいくつなんだろう?と調べることがあります。一定の年齢においてムーブメント化するのがカルチャーで、その年齢を層で捉えた総称を世代と呼ぶのではないかと、同時に考えるようになりました。

一体いくつの人が何の音楽を聴いて、どんなことに興味を持っているのか。結構アバウトではあるけど、日経エンタあたりが本格的に調査してくれると貴重なサンプルとして有効活用できそうですよね。

話は少し逸れましたが、橋本奈々未が24歳で出した決断について、年齢を中心に世代やカルチャーを築く過程をいま一度検証する時なのでは?と感じました。

・合わせて

blog.livedoor.jp

 

02. Lady Gaga『JOANNE』は2016年に出しておかなければならなかったアルバムである

ジョアン

 もう言いたくて言いたくて仕方がないです。ガガの新作、個人的に過去のどのアルバムよりも好きだ。自身のミドルネームを冠した『JOANNE』は、ガガが先刻した通り、ロックなアルバムに仕上がってはいるものの、それはジャンルとしてではなく、おそらくはサウンドやソングライティングに至るまでのアプローチを指して、ロックなアルバムと称していたんだと思います。

この欄について書こうと思い、一通りネット検索したらこんな記事がヒットしました。

kikitimes.com

好き嫌いは個人的な物差しによりますが、この「ロック=普通になった」という安易な解釈には少し疑念を抱かざるを得ません。

日本と違い、アルバムからアルバムにかけてのスパンが長く、その間に世界規模のプロモーションとツアーをこなす海外アーティストは、アルバムの形式にしたがって自身の過去をアップデート、もしくは未開の地に足を踏み入れることでアーティストとしての活動欲を駆り立てていく必要があります。その欲は表現に変換され、音楽やアートとして結晶化していく。様々なバックボーンを持つガガにとって、表現に対するこだわりとそれに向けられる情熱は他の追随を許さないほどに。パブリックイメージも合わせ、奇抜で先進的なアクションばかりを求められるたび、彼女は期待を巧みに利用しては予想を超える作品を発表してきたのです。

強烈なビジュアルと高いポテンシャルを兼ね揃え、華々しくデビューしたガガは常に過去の自分の作品によって凝り固まったリスナーの固定概念を壊すことから、音源制作をスタートしなければならなかった。多大なプレッシャーとストレスが彼女を高みに登らせたのは、ある種成功の結果と言えますが、実際、スキャンダラスな側面も含め、”レディー・ガガ”という虚像が自身ではコントロールできない領域まで来てしまっていたのでしょう。それは前作のオリジナルアルバム『ARTPOP』(2013) の過剰なまでのポップネスが物語っています。

そんな過去の重圧とスキャンダラスによってうやむやにされてきたのが、彼女の”ソングライターとしての類稀なる才能”です。紛い物でも飾り物でもない、歴としたアメリカンソングライターの血が彼女の中には流れている。ヒップホップもゴスペルもR&Bも、もちろんロックもカントリーも、彼女のソングライターにおける血中酸素に含まれた音楽養分として息衝いています。

明確な転機はTonny Bennettとデュエットしたジャズアルバム『Cheek To Cheek』(2014)でのレコーディング作業からでしょう。その3年前、2011年にトニーの『Duets II』にて「The Lady Is a Tramp」をコラボレートしている2人は、お互いをリスペクトし合い意気投合。アルバムもグラミー賞を受賞し、このコラボレートが単なる話題作りではないことを証明して見せました。

『Cheek to Cheek』は1930年代を中心としたジャズクラシックが、余計な装飾なく、2人の声と伴奏のみでレコーディングされています。フランク・シナトラコール・ポーター などを参照に、ガガのジャズセンスに光を当てたこの作品による評価は、間違いなく『JOANNE』につながる布石として重要な作品と位置付けられるでしょう。

無駄な装飾とは時代やアーティストごとに捉え方は違いますが、ガガは今回、今まで自身を奮い立たせてきたプレッシャーやストレスを欲へと昇華せず、無駄な装飾として排除したのではないでしょうか。いや、排除ではなく、受け入れたというのが正しいかもしれません。それらを音楽へのモチベーションとせず、もっと根源的な、自身の出自でもあるDJ/ダンサーとしての体幹に従った脊椎反射、それがレディー・ガガの本質=ソングライティングを活かすことへと結実したのかもしれません。

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左からMark Ronson, Beck, Kevin Parker, Florence Welch 

Mark Ronsonをメインのプロデューサーに据え、Josh HommeQueen of the Stone Age)、Kevin ParkerTame ImparaBeckらがソングライティングに参加。M10「Hey Girl」ではFlorence Welchとデュエットし、Sean Lennonがスライドギター(M8)、Matt HendersArctic Monkeys)がドラム(M1)、トランベットをBrian Newman (M2, 13)が務めるなど、クレジットで見ると豪華絢爛、適材適所、堂々たる布陣で製作されたことがわかる。ただ、参加したミュージシャンは徹底して与えられた役割の下、レディー・ガガの音、言葉をフックアップすることに努めており、それらはミュージシャンシップに置いて、ガガが多くの信頼を集めてきたということでしょう。

2016年のトレンドシーンの中で、レディー・ガガの存在は少々希薄だったかもしれません。しかし、ここまでの経歴と説明を踏まえれば、もう彼女がド派手なメイキャップや奇抜なファッショニスタを演じる必要がないこと感じてもらえたはず。トレンドに左右されず、芸事に浮かれず、地に足つけた自分の靴を見ながら紡がれた作品として、やはり『JOANNE』は2016年に出しておかなければならなかったアルバムなのです。

03. cero荒内佑のWeb連載に目からウロコ

www.webchikuma.jp

最後に、一つ興味深かった連載を。

ceroでは作詞、作曲、キーボード、コーラス、さらにサンプラーなどもこなす荒内佑氏がWebちくまにて連載を始められました。奥ゆかしさや趣がワールドミュージックと密接に寄り添い、日本情緒へと回帰していくようなceroの音楽は自分も大好きで。日本の音楽史、世界のトップチャートで流行するブラッキーなグルーヴに関して、不明瞭なミッシングリンクが羅列されがちなインディーミュージックの中で、明快にceroというランドマークを鳴らしたのは実に批評的で、セルフプロデュースにこだわっているバンドなんだな、と常に感心してもいました。

そんな荒内さんの連載第1回をすぐさま読んで、改めて豊かな創造性を持ち合わせた人なんだと、深いため息を吐きました。多分、こういうのを日記ともコラムとも言わない、優れた読み物と称するんじゃないんでしょうか。

テレビで見た手話を発端に、日常の中で同時発生する良いこと/悪いことのボーダーライン、その線引きをする世間の物差しについて荒内さんらしい言い回しが随所に見られる。答えは一つじゃないが、人が同時に二つの答えを掲示することも、今の世の中許されていない。でも音楽ならば、1曲の中に二つの答えを並べることもでき、不特定多数の人に向けて日常のボーダーラインの在り処を意識させることができる。それらを経験や体験を通した思考から巧みに言葉として置き換えていくこの文章に、自分は何かモノの見方のアレコレを教えられた気がします。

 月イチの更新で、次回は11/30とのこと。楽しみです。

9月にシェアされた世界的にも活躍するジャズトランペッター黒田卓也氏の新作『ジグザガー』。そこに収められたボーナストラックにて表題曲「ジグザガー」をceroとコラボレートした際のメイキング。 

・合わせて

砂原良徳が使う Studio One 第1回 | ミュージシャンが使うStudio One | サウンド&レコーディング・マガジン

 

 

PC Music♪と2016年〜変遷するレーベルについて

 

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@PCMusic

インターネット発〜ロンドン経由〜世界行き

2013年に産声をあげたロンドンのインディーレーベル〈PC Music♪〉は、僅か3年というスパンでそのレーベルネームを世界規模のものとした。形容を無視したレーベルカラーと独自のカテゴライズと言わざるを得ないトラックメイカー/プロデューサー/シンガーを数多く有し、グラフィックも合わせた総合的なアートレーベルとも称することができる。新進気鋭のレーベルでありつつ、様々なカルチャーと共犯関係を築いてきたオンリーワンな歴史を持つ。しかし、認知度も上がり確実に特定のエレクトロニカファンを獲得してきたこのレーベルは、実はまだ未成熟であり、現在も発展途上中なのである。

今年その〈PC Music ♪〉が、何やらおかしい。いや、怪しい。

活動領域は守りつつ、何か例年とは異なるレーベルスタンスを築こうと模索しているような動きを見せている。小さな変化も大きな普遍も、今まではインターネットの大海に本体を沈めていたからこそ特異な存在として受け入れられてきたレーベルが、今年その身体をフィジカルな下に晒している。所属するクリエイターの音楽性の変化ではない。〈PC Music ♪〉自体が2016年を意識し、作為的に大きな変遷を試みようとしているのだ。

抽象的な例えが続いたが、具体的に何を持っておかしいのか。なぜ、レーベル単位での変還に思い切ったのか。それらを歴史や事例、変換点も含め、少し考察してみたい。

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レーベル設立者であるA.G.Cookを筆頭に、Danny L HarieSophieらで確立した2014年後半から2015年にネットにてトレンド化した”バブルガムベース”は、たちまち新たなポップミュージックの誕生として大手音楽メディアに取り上げられることとなった。

pitchfork.com

”バブルガムベース”合わせて〈PC Music♪〉流行の下地として、2010〜2013年の間にネットで急速に進化を遂げた"ヴェイパーウェイヴ"の隆盛も、改めて記しておくべきだろう。ヴェイパーウェイヴ自体が形容しにくいカテゴリーだが、アシッドジャズ、チルウェイヴ、ウィッチハウス、AORといったジャンルの音楽をサンプリングし、スクリューやループなどのエフェクトにて個性を出す手法を基本とする。その基本を手本に、個性の部分をクリエイターごとの解釈で拡張した先に”バブルガムベース”がある、と個人的には見立てている。

junji0412.hatenablog.com

togetter.com

時にそれは、ここ日本のジャパニーズポップ、特に80年代をベースとする歌謡曲やCMカルチャーがサンプリングネタとして世界各国のウェイバーたちに好まれ、山下達郎大瀧詠一といった音楽家を新世代に伝える原動力ともなったのである(彼らの再評価はここ数年日本でも同時的に起こったが、またそれとは別のベクトルである)。

山下達郎大瀧詠一が海外で未開拓な音楽としてピックアップされたことで、日本のJ-POP自体にワールドワイドな注目が行くようにもなったとも言える。タイミングを同じくして、偶然にもKaty PerryがTwitter上できゃりーぱみゅぱみゅをお気に入りだとツイートしたことも、音楽も含めた日本のカルチャーが世界的に拡散したトピックと言えるだろう。それらはネットを中心に、ミーハー気質に触れた一過性のものだと騒がれることになるが、Dux ContentSEKAI NO OWARIなどのコラボレーションが違和感なく日本の音楽リスナーに受け入れられたのも、これらインターネットの潮流を単に発する現実とのクロスオーバーが事前に何度も展開されていたことによる結果とも受け取れる。

”ヴェイパーウェイヴ”と”バブルガムベース”の連続性は〈PC Music♪〉の発展に大きく関係し、それは2016年を象徴するあるキーワードともリンクする。しかし、〈PC Music♪〉は今年そのキーワードに対して、意図して逆説的なメソッドを駆使してレーベル運営に当てはめているのだ。それは奇しくもChance The Rapperと似た志向でもあり、つまりは新たなポップミュージックの可能性を探っているのではないか。このキーワードを作用点とした時代に伴う変化こそ、レーベル変還に繋がっていると推測できなくもない。

あるキーワード、それは”フリーダウンロード”というフォーマットである。"ヴェイパーウェイヴ"を筆頭に〈PC Music♪〉がサイトにてアップロードしている”バブルガムベース”の音源は、その音質、ジャンル、アーティストに関係なく、そのほとんどがフリーダウンロードできた。人の生活において、金銭的な優劣が定めたリスナー側の音楽深度など、このフォーマットには全く関係がない。世代も知識も歴史も問わず、ダウンロードして聴いた者がみな等しくシェアできる。もちろん、Bandcampにて自由価格(name your price)を設定しているクリエイターもいる。それでも全体を見通せば、それが有料/無料問わずシェアしたくなるかどうかが一番で、それはChace The Rapperを代表とした質を重視するアーティスト信念と重なり、ひいては産業的な音楽の解体作業に手を貸していることにも、若干リンクしているように思う(Chance The Rapperがレーベルと契約しない理由 - FNMNL (フェノメナル))。

しかし、2016年〈PC Music♪〉はこのフリーダウンロードというフォーマットから抜け出そうとしている。いや、正しくはそれも方法の一つだったと、先に進むためにあえてコンテンツとして昇華し始めた、といった方がいいかもしれない。

それを物語る予兆として、去年レーベルはソニー傘下でもあるコロンビアレコードとパートナーシップを組むことを発表(PC Music Announces ‘Partnership’ With Columbia Records With Danny L Harle EP | SPIN)。これにより、ネットで媒介した多様なミュージックコンテンツとクリエイターがメジャーなフィールドにて活躍しやすくなったのは理解してもらえるだろうが、レーベル単位での変還という意味でも、これはかなり大きなニュースである。

この提携によるファーストアクションとして、中国で絶大な人気を誇る女性ポップシンガーChris Lee (Li Yuchun 李宇春)を主宰であるA.G.Cookがプロデュースすることもアナウンスされる。このニュースは〈PC Music♪〉がアジア圏における東洋音楽との化学反応に未だ意欲的であることを感じさせるとともに、レーベル市場の拡大を匂わせる興味深いアクションでもあった。

それらの布石として、さらに遡ること2014年、A.G.CookはSophieとともに"バブルガムベース"を"バブルガムポップ"へと進化させるため、J-POPの地平すら見渡せそうなハイポップトラック「Hey QT」をリリースしている。

仮想のタイアップを立て、そこにコマーシャルを打つように、キャッチーかつカラフルなバブルガムサウンドは見事ネットの本流からXLという大海に出ることに成功する。炭酸水のように浮かんでは消えるQTの音楽は、Fメジャーのコード感とBPM129のテンポを両手にJ-POPを想起させる音楽として世界的に発信されたのだった。その音楽はネットを外れ、オフラインの影響が強いここ日本でも受け入れられる予感を同時に孕んでいた。現にDiploHudson Mohawkeといった現行のトップクリエイターにも「Hey QT」は刺激的なトラックとして着地している。

そしてこのサウンド初音ミクを連れていち早く飛びついたのが、フォトジェニックなフィルターを通すまたとないアーティストである安室奈美恵だったということも、何か出来すぎた話ではある。Sophie含め「Hey QT」がいかにアジア圏における〈PC Music♪〉の土壌を整えたかは、ここまで挙げた日本の音楽家たちを思い出してもらえれば一目瞭然だろう。

そして、いよいよ2016年、〈PC Music♪〉はヨーロッパ、アメリカ、アジアのフォールドを席巻するためにポップであることを最前線としたレーベルプランを実行していく。

手始めに2月、既にリミックスを手掛けるなどの接点があったCharli XCXの新章を告げる『Vroom Vroom EP  』をSophieが全面プロデュースする。イギリスにおいてKaty Perryのようなアイドリーでアウトサイダーなアイコンである彼女を、インダストリアルでモノクロームな世界に閉じ込めるそのアンビバレンスなビジュアルメイクは、メディアによって大きく賛否が分かれることとなった。 

だが、今回の主旨でもある”〈PC Music♪〉の変遷”を総括した内容が、賛否両論なこの「Vroom Vroom」のMVにふんだんに盛り込まれているのだ。Charli XCXはもちろん、プロデューサーであるSophie, 一部楽曲ではプロデュースを担当したA.G.Cook、さらにEPに収録された「Paradice」にゲスト参加したHannah Diamond、他にもレーベルを代表するeasyFun, GFOTYといった面々がMV内で踊り弾けている。一瞬だが昨年Sophieがデビュー作をプロデュースしたNYのラッパー:Le1fも写り込んでおり、いわば〈PC Music♪〉がオーガナイズしたレイヴパーティーかのような内容なのだ。

一連のプロジェクトはCharli XCXがメジャーアーティストであることもあり、フリーダウンロードの気配は一切感じない。逆に言えば商業性に特化しながらもレーベルカラーは色濃く塗り付ける、確固たるメジャー志向なプロジェクションが全面に施されているのである。

インターネットがいかに物理的な距離をゼロとしてくれるといっても、ここまでの仕事の大半がロンドンに腰を据え、ネットを利用した活動だった。だが、ネット然の活動からフィジカルなメジャーへと舞台を広げようとしている。そんなメジャーでの活動領域を広めるためには、やはりショービズの本場アメリカに何か楔を打たねばならない。

6月、Red Bull Music Academy主催の下、ロサンゼルスにてレーベルのショーケースが開かれるのだが、ズバリ、そのショータイトルが”POP CITY”。レーベルは細々としたクラスアップを無視し、「Vroom Vroom」をそのままリアルな街へアップデートするという手札をここで切るのである。

www.youtube.com

このショービジュアルの説明に、とても興味深い一節がある。

THE BEGINNING AND END OF BRITPOP AS WE KNOW IT. ENTER THE NIGHTCLUB AND TASTE THE CONFETTI. WELCOME TO POP CITY.

ブリットポップの始まりと終わりを私たちは知っている。ナイトクラブに来て紙吹雪を浴びよう。POP CITYへようこそ

気になるのはブリットポップの意味だが、〈PC Music♪〉を取り巻くクリエイターの多くが90年代前後に生まれていることもあり、リアルタイムでブリットポップを体験した世代とは言い難い。ならばここでのブリットポップとは、純粋に「ブリタニアによるポップカルチャー」と受け取るべきではないか。レーベルにとってアジアでの影響力は申し分ないが、Le1fやMadonnaのリミックスを含め、アメリカでの動きはお世辞にも活発とは言えない。その現状も見越して、ショーケース自体を英国発のユーモラスな現象として捉えてほしい、という意向も、この一節には含まれているような気がする。

ショー当日にはA.G.CookのステージにCharli XCXが登場し、Hannah Diamondも招いて「Paradise」を披露するなど、大いに盛り上がった。

しかし、残念ながらこのショーケースでの一番のサプライズはCharli XCXではなかった。以下、最もエポックメイキングな瞬間の映像である。

映像からも分かる通り、本国カナダはもちろん、アメリカ、そしてここ日本での人気も揺るぎないCarly Rae JepsenがサプライズゲストとしてDanny L Harieのステージにジョインしたのである。

以前からTwitterなどで2人のスタジオ入りは伝えられていたが、その一連の経緯を知った上でも〈PC Music♪〉のLAでのショーケースに、彼女のようなスターが出るとはみな夢にも思わないだろう。

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@DannyLHarie × @CarlyRaeJepsen

その後、正式にコラボレートシングル「Super Natural」をシェア。今までのCarlyではありえないレイヴミュージックに舵を切ったトラップチューンは、〈PC Music♪〉が大西洋を超え、本格的にビルボードチャートへの参入を計画していることが大きくフィーチャーされている。

このアメリカ進出を機に、A.G.Cookの新曲(久々のフリーダウンロード作品)、Felicitaとの正式なレーベル契約、Hannah Diamondのニューリリースなど、様々なトピックがレーベルを中心に活性化していく。バブルガムポップというジャンル/カルチャー自体は米国トレンドに受け入れられたとは言えないが、ヴォーカルにオートチューンやヴォコーダーを配したアナログA.Iな流行も現在見受けられるだけに、2017年以降、〈PC Music♪〉が掲示する未開拓なポップスタンダードがどう転ぶかは、今年の動き次第といったところだろう。


最新情報としてはレーベルが再び原点ロンドンにてショーケースを開くことが伝えられており(12月には同様のショーケースがベルリンでも開催される)、それに伴う新たなコンピレーションアルバムのシェアも決まっている。コンピレーションには上記したCarlyの曲に加え、ここ1年間でレーベル所属のクリエイターが発表した作品が新曲も含め10曲収録されるとのこと。

アジアでの勢力拡大、アメリカ本土への本格的なビジネス進出、その時々のアクションにおけるリアクションがインターネットをメインに〈PC Music♪〉のレーベルカラーを豊かにしてきた。フリーダウンロードをコンテンツとして昇華し、ライブという現実のフィールドに侵食を始めたのは、やはり大きな変化である。ネットの中と現実では需要と供給のバランスが大きく異なるが、現実において世代や年齢における金銭的な差別が音楽産業自体に与える影響は大きい。その分、ネットレーベルとしてオンリーワンなジャンルと才能を囲ってきたレーベルが、その囲いを外し、匿名性を捨て表舞台に続々と進出している2016年は、実像する人や物を共有する時代に突入したと言えるのかもしれない。

スマートフォンの普及やVR技術の発展は、音楽をより感覚的・直感的な体験へと誘う可能性を孕み、それは既に家庭レヴェルで浸透しつつある(i Phone 7やPSVRの発売も2016年の技術革新を物語る重要なポイントである)。〈PC Music♪〉が2016年に大きく舵を切ったその理油は、実際のところ推測の域を出ないが、今まで綴ってきたアクションに基づく考察によって、少なくとも何かしらレーベル方針の転換に踏み切るべきだと感じるタイミングがこの1年間の間にあったではないだろうか。

今年も残すところ約2ヶ月半。11月のコンピレーションとショーケースにおいてどんなパフォーマンスが為されるのかに注目しつつ、その周辺にも気を配っておくこととしよう。

 

そういえば、きゃりーぱみゅぱみゅが11/9にリリース予定のシングルで海外アーティストとのコラボレーションを発表していたが、その中身が気になりますね...(Katy Perry?Sophie?G-Eazy?それとも...)

 ※以下は2年前のきゃりーぱみゅぱみゅワールドツアーの際に行われたSophieとの対談インタビュー 

www.dazeddigital.com

合わせて以下のnoteも

note.mu

Spotifyを使い始めて考え直した音楽との向き合い方

先週末、ようやくSpotifyの招待コードが届きました。

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登録はいたってシンプル。アドレス登録やパスワード設定などは当然のようにあるけど、それ以降はスムーズに視聴画面にシフトします。

 

2016年9月29日、ここ日本でも音楽ストリーミングサービス「Spotify」がローンチされました。招待制のため、利用したい人はまず専用アプリをダウンロードし、招待コードをリクエストする必要があります。それでも、待つ価値はそれなりにあるとは思います。

ハッキリ言ってしまえば、”主に洋楽を好む音楽リスナー”であるかどうかが、Spotifyを使う上での線引きとなるでしょう。もちろん邦楽もありますが、正直、Apple Musicと比べるほどの数もありません。なので普段から邦楽を中心にJ-POPやアニソンを聴いているような人には、Spotifyをオススメできません。単純にトレンドを体験する意味でダウンロードし、使ってみる分にはいいですが、iTunesを始め、ウォークマンなど他のサービスにて日本の音楽を聴いている人は、無理せず現状維持で良いと思います。

使い始めて1週間ほどになりますが、有料プランであるSpotify Premium」(月額980円税込)に移行してからというもの、Apple Musicの利用回数が激減しました。そもそもiTunesの使用頻度が格段に減ってしまった。普段から世代もジャンルも、言語も問わず音楽を聴いている自分のような音楽リスナーには、とても画期的で有意義なリスニングスタイルを提供してくれるはずです。全くiTunesを使用しなくなったわけではありませんが、自身のPCなどに保存された音楽ファイルを再生する”ローカルファイル”コンテンツもあります。SpotifyからiTunesで利用していた音楽ファイルの再生も可能になった今、iTunesはダウンロード購入する際か、Apple Music独自のコンテンツにアクセスする時以外はめっきり立ち上げなったのが現状です。

 

Spotifyの特性については以下で記述されているとおり、今後の展開も含めて未だ実験段階な部分も多々あるようです。日本独自でエディターチームを組んだりするような方法論はSpotifyに限ったことではなく、スターバックスや同じスウェーデン発祥のIKEAなど、独自のサービスをグローバルに展開しようとする上で”その国その地域に適したサービス展開”を実現するため必要不可欠な考え方とも言えます。

realsound.jp

www.fashionsnap.com

toyokeizai.net

iPhone 7も発売された今年、おそらくまだ大半の日本人がiTunesを使用し、既存のミュージックアプリで音楽を再生して、備え付けのイヤフォンで音楽を聴いているはず。 それ自体は日常的に当たり前の風景として快くも感じますが、それでもSpotifyの展開がスターバックスIKEAと大きく違うのは、飲食や家具と違い、音楽が生活必需品ではない、という点。そこに時間とお金を割くことで、現状の生活に目に見えた形で有益なレスポンスがあるかどうか。極端な話、音楽は鳴っていてもいなくても人は生きていけますから。

そしてもう一つ。日本がいまだCDを主体とする、特異な消費大国であるということ。さらに音楽に対する文化的権威の低さも、2016年をめぐる世界の音楽との関係性においては重要な意識問題といえるでしょう。つまりは音楽を聴く人はいても「音楽を好き」という人は、実はマイノリティーな存在であるという現実。この根源的な問題に対して意欲的にタッチしているアーティストも多く見受けられますが、実情としてそこまで音楽に意識的にでも時間やお金を割く人が現実に大勢いるとは言えません。

いかに日本が特異か。それを裏付けるものとして、先日、アメリカレコード協会が発表した2016年上半期における音楽市場の売上レポートがあります。

fnmnl.tv

円グラフからも分かる通り、アメリカの音楽産業は今現在ストリーミングによる収益で成り立っています。そこから得られるアーティストへのロイヤリティは、当然のようにCDに比べ低く、その反動もあってか、アメリカでも日本同様にライブを主な収入源とする傾向にシフトしています。いや、むしろそれが主流と言ってもいいほど、フェスやライブツアーにおける興行が重視されている。

では、Spotifyの中身はどうなっているのか。

以下、Spotifyにおけるサービスの詳細やアーティストに支払われるロイヤリティの問題、それらの内訳におけるパーセンテージ、他の国におけるSpotifyのサービス展開の報告など、事細かく述べられた記事です。少々文量はありますが、一度目を通すだけでもここ日本で、何故Spotifyのような音楽サービスが、如何様にしてローンチしようと踏み切ったのかが見えてくるはずです。

jaykogami.com

 

SpotifyにしてもApple Musicにしても、ローンチしてから実際に使用している人をこの目で見る機会は少ない。それはやはりお互いのサービスにおける音楽アーカイブが、J-POP、ことアイドルやアニソンのCD消費によって潤うここ日本では、なかなか根付きにくいことを証明している。しかし、そんな予見はとうに考えられてきた課題であり、この先、日本の音楽産業が本格的にストリーミング主体になったらJASRAC含めた権利問題云々で足踏みする暇もなく、そんな課題などはクリアーになることでしょう。

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むしろCDかストリーミングかのハードな問題より、”日本の音楽文化に対する権威の低さ”こそ、もっと真剣に考えるべきではないかとSpotifyを使っていて感じるのです。

今年世界を騒がせた音楽作品であるKanye West『The Life Of Pablo』、David Bowie『★(Blackstar)』、BeyonceLemonade』、Frank Ocean『Blonde』などは、同時代性を物語る上でも重要で、とてつもない質量を内包した素晴らしいアルバムであるとともに、音楽の素晴らしさそのものを象徴するランドマークとして認識されています。日本でもTwitterを始め、SNSを通してみれば非常に都合よくこれらの作品の影響を感じることはできます。しかし、その影響が表面化することなく収束していってしまう流れを、日本の音楽産業は自然と生み出しているような気がしてなりません。

明確にしておきたいのは、産業がそうでも、決して日本の音楽自体が廃れていくわけではないといこと。椎名林檎中田ヤスタカにみるテクノロジーを取り入れて深化する音楽も、宇多田ヒカルFantôme』がグローバルに展開していった経緯も、星野源を持って知る世界と日本の折衷感も、全てが2016年に生じたこと。それをリスナーが「これが日本の音楽」と認識しながら、世界との違いに気付くこと。日本人にある外国人コンプレックス同様、まだ私たちは日本以外の世界を恐れている。そんな風に考えると、日本の音楽価値が向上するととも、日本人や日本そのものの価値観も変化していくように思えます。

 

長々と書いておいてなんですが、以下に掲載されている高橋芳朗氏による星野源へのインタビュー記事などを例に読んでもらえれば、少しは日本における音楽権威の意識問題を知ってもらえるのではないでしょうか。

realsound.jp

www.sensors.jp

 

今回はSpotifyを中心に、Apple Musicを比較対象としながら音楽産業への影響と今後世界に向けてリスナーがどんな意識を持つべきかを述べてきましたが、実際はYoutubeGoogleなどにおけるストリーミングサービスも含めて、いま何が起きているのかを知ることから始めなければならないのかもしれません。もう10月で、正直なところ少しもう手遅れな時期かもしれませんが、再度音楽について考えていこうと思います。

 

一応こちらにも記載しておきますがnoteの方でもいろいろ書いてます。

note.mu

note.mu

note.mu