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音楽について

茶化すSMAP、変化する嵐〜どっちも新曲カッコイイよね、って話〜

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2/11に発売したSMAPの両A面シングル『華麗なる逆襲/ユーモアしちゃうよ』がこれまたクリティカルヒットしている。それはネットのみの一時的な反応ではなくて、2010年代以降、いや、正しくは音楽以外の側面からの評価も含め、グループ単位での新たな付加価値が今の評価の根底にあるように思う。 


(2ページ目)SMAP、“中居歌い出し曲は大ヒット”のジンクス続く? 新曲で見せた充実の現在地 - Real Sound|リアルサウンド

以上のような考察もあるけど、個人的には以下のように各メンバー毎の細かいポジショニングや効力を記した方が解かりやすいかと。因みにここでは「ユーモアしちゃうよ」については触れずにいるが、後にマンスリーレコメンドにて考察する予定。


「SMAPの華麗なる逆襲がかっこ良すぎてもう100回くらい聴いてる」 - 小娘のつれづれ

 

「華麗なる逆襲」は椎名林檎が手掛けたバブリー感漂うカジュアルソングだが、単に四つ打ちのノリとバックビート構成におけるシンコペーションの妙が気持ちいい、というわけでもない。歌詞に用いられる言葉には確かに林檎節ともいえる言い回しがあるが、近年の彼女の提供曲ではかなり自身の濃度を抑えた楽曲にも感じる。それでも、この1月期にドラマ主題歌を2曲も手掛けているは異例とも言える(もう一つは『至上の人生』~《〇〇妻》主題歌)。音楽家として強烈な才能を2つ同時に花開かせるその底知れぬ豊かな感性。一方は個人として、もう一方はSMAPというフィルターを通すことで、彼女の表現における球種の多彩さを改めて実感することとなったわけだ。

話をSMAPに戻そう。ここ最近のSMAPは明確にパート分けがなされているのは言わずもがな。テレビ番組における歌唱力やリップシンク等の論議は、正直彼らにとっては恐れるに足りない。というかそれすら茶化して武器にしているのがSMAPであり、とやかく言う視聴者やリスナーすらその茶化しを象徴するツールとしてハブ的に機能させられていると言っていい。

とかく最近のSMAPは歌ってる時が最高にカッコいい。「華麗なる逆襲」でも郷ひろみのお株を奪うかのようなジャケットプレイと、 5人によるダンスバトル、さらには小道具(5人の顔がデザインされたオリジナルの紙幣)までもが視覚的にも新鮮に、それでいて栄光や英知を過去の産物として鮮やかに茶化している。

"人は見た目が9割""第一印象で全てが決まる"など、外見を取り繕うことばかりが全ての良し悪しを占う判断材料になっている昨今。今のSMAPを見るたび思うのはそういった世間や世論の中で言葉にすらされず、今では当たり前に日常に溢れた他人の意見を鵜呑みにする民衆を優しくも痛快に茶化して、私たちの生活に華を持してくれているのではないか。

といっても彼らの茶化し方というのは一朝一夕にあらず。ましてや作詞/作曲における楽曲提供アーティストのネームバリューにもあらず。あくまで表舞台に立つのはSMAPなわけで、茶化すも馬鹿にするもコントロールして魅せるのは彼らの技量と裁量によるところ。それを物語る意味でも先日中居正広がMCを務める『ナカイの窓』にて以下のような発言があり、とても興味深かった。 

 へぇ〜…と思いながら「いやいや、これ中々面白い話だな」とすぐさま思い直した。他のメンバーにも聞いてみたいし、全員がこの俯瞰視を持っているわけでもないだろう。スポーツ選手でいうならば空間認識能力が秀でていると言えるのかも知れないが、中居正広にとってはそこにテレビやライブなど、何かしら1つコンテンツを挟み込む事も前提条件にして魅せることでユーモラスな茶化し方を演出しているのかもしれない。

最近のSMAPは曲が良い、バラエティーにおける彼らの回顧録を含めて新しいアイドル像の模範として輝いてるなど、ジャニーズ、SMAP、そして各メンバーなど挙げるに10以上の要点をテーマに今の彼らの活躍を説明できると思う。それでもこれら全て、もちろんこのブログにおける言葉全ても所詮は表層から1,2枚めくった部分をなぞった意見でしかなく、恐らくは2020年、今の段階では東京五輪で日本が恥をかくであろうその時までに、SMAPが今の日本音楽、ないしはカッコ付けたがりな日本人の化けの皮を剥がしてくれる事を切に願うばかりだ。

買い被らないでどうか茶化してよ/まだまだ勝負しちゃあいないぜ/ほんのついさっきまでの全てを/予兆と呼ぶから (「華麗なる逆襲」から)

さらに、通常盤のみだがtofubeatsによる「華麗なる逆襲」のリミックスが収録されているのも見落としてはいけない要素だ。数々の場面でSMAP愛を公言している彼が遂にその憧れをリミックスするということでもエポックメイキングなニュースだが、そのリミックスの内容も涙モノだ。特に90年代のバブリーな世界観が好きだという彼らしいそのリミックスには「がんばりましょう」「ダイナマイト」をボコーダー越しにバッチリ歌い曲の節々にキメとして差し込んでいる。焼き増しはなく、逆に言えばメジャー特権とでも言おう今現在の彼の立場において最大級の遊び、いや、SMAPへ向けた愛が十分感じられる。

そんなtofubeatsのリミックスも世間に向けての茶化しに含めるとして、ホント、全てを予兆と呼べるほど過去の栄光に縋る今の音楽産業、いや、日本の現状をSMAPには面白可笑しくこれからも茶化してほしい。

 

 

…と、SMAPのことだけ書こうと思ったが、先日発売になった嵐の新曲も素晴らしかったので追記。

 

Sakura 【初回限定盤】(DVD付)

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ドラマ《ウロボロス〜この愛こそ、正義。》(TBS系列:金曜22時)の主題歌であり、メンバーが誰も出演せずに主題歌として起用された、グループとして未知な一歩を匂わせるシングルだ。 

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作詞/作曲はeltvo、編曲は佐々木博史。eltvoに限っては「Face Down」「GUTS!」などのクレジットで目にした事があるが、彼単独("彼"と呼んでいるが性別年齢共に詳細は不明。恐らくはジャニーズ傘下のお抱え作家だろう)での楽曲は「君がいるから」(シングル『Your Eyesカップリング)以来2曲目。

個人的にピンときたのは編曲を手掛ける佐々木博史の手腕だ。至高の劇伴とでも言えるスリリングかつドラマチックなそのオーケストレーションには思わず惚れ惚れしてしまう。元々クラシックにおけるピアノ演奏を得意とし、対位法としてのプログレッシブなストリングアレンジはまさにこの楽曲の肝。これまでにも嵐の楽曲では「誰も知らない」「Breathless 」「Monster」といったシリアスでありながら彼らの身体的・グループ的な曲線美にスポットを当てるダンスナンバーを数大きく手掛けてるだけあり、ビジュアルメイクの際のBGMとしても華がある楽曲に仕上がっている。

“桜”という売れを匂わすキーワードを使わずに、あくまで曲の世界観における儚くも清い象徴として抽象的に表現する試みも新鮮に感じる。現に「サクラ咲ケ」という原型のスタンダードナンバーを持っている嵐にとって、桜というキーワードで何かしら次なる一手を置くなら象徴として飾る方法が適切と言えるだろう。

彼らがダンディズムを魅力としたR&B、ディスコやハウスなどの楽曲をコンセプュアルにコンパイルした『LOVE』が大名盤として、今現在の嵐における新たな基盤になっているのは間違いないようだ。去年リリースされた『THE DIGITALIAN』ではその基盤からEDMなどのエレクトロ路線を強めており、個人的には“見せ方”を前提とされた『LOVE』に比べ“響かせ方”に重きが置かれたこのアルバムに、少し安易な手軽さが内包されてしまったのではないか、と心配になった。複雑にプログラミングされたリズムやエフェクトよりも、もっと体現としてグループの良さを音楽に落とし込める楽曲こそが嵐には似合うはず。そんなおせっかいを他所に「Sakura」ではそれら見せ方とプログレッシブなストリングスが繊細なプログラム管理を経てアップロードされている。

リスナーやファンの捉え方は様々だが、ジャニーズにおいてシングルやテレビの魅せ方1つ1つがトライ&エラーであり、必ずしも現在進行形のスタイルが完成形ではない。その点はSMAPでも嵐でも他のグループでも変わりはないだろう。

 

嵐がSMAPのようになるとかそういう継承概念がジャニーズには無いにしても(楽曲として歌い継ぐ伝承はあるけど)、今の嵐が10年後には今のSMAPのように、グループとして変化を厭わず、個人としてはプリミティブなスタンスを貫き通す存在で活躍しているとこれまた面白いニュースが数多く世間を活気付けてくれるのではないかと期待してしまうわけで。そんな期待と望み、そしてミーハーな感性も含めて、嵐とSMAPの新曲はチェックしておくべきでしょう。