TopicUp Vol.5(乃木坂46, Lady Gaga, cero荒内佑)
初めて普通のブログ書きます。
それでも、ざっとスクロールしてらえればわかる通り、なんか普通じゃありません。普通のブログの定義もよくわからないんですけどね、実際。
簡単に言えばTwitterで呟いた刹那なこと、noteで書いた瞬間的にまとめたこと、他のサイトで見た特集や意見について、文字制限や時間によって要約せざるを得なかった事柄などに プラスαコメントしていこうと思います。
ブログって日常のことを綴る場だと思うんですが、ここではその延長線上で拡張した言葉をドンドン吐き出していくつもりです。
01. 橋本奈々未の卒業と年齢について
noteにも書いたんですが、橋本奈々未の卒業によって乃木坂46、またアイドル全体における年齢と卒業の因果関係において新しい価値が見出されるような気がします。自分としても2016年のアイドルシーンを全て把握してないし、あくまで興味深いカルチャーアクションとして楽しんでいる者としてはあまり口出しできないトピックではあります。
今年になって運営側の不謹慎なニュースが多く、それに付随するようにアイドルカルチャー自体に見切りをつけるレコード会社も出てきた次第。AKBをオワコンとする人と、ここからがカルチャーとしてアイドルの本質が問われるとポジティブシンキングする人など、何が正解かはもう数年後の結果を見ないことにはわかりません。
2016年、売り上げだけの数字を見れば、文句なくAKB48がその人気を維持しているといえるでしょう。ただ、ご存知の通り、オリコンチャートやCD売り上げにおける数値と、アーティストの評価がイコールに結ばれる時代はとうの昔に終わっています。実際、クリエイティブな面で成功し、バラエティに富んだ活動でアイドルの価値を維持し牽引しているのは乃木坂46でしょう。個々で活躍する様は、各々がグループを離れた後も芸能の世界で夢を叶えられるであろう可能性で満ち溢れているように見えます。
アイドルの肩書きを失った後に芸能の世界でどう生き抜くか。1人の人生単位でこの問題は重要で、そこにはやはり年齢が関係してきます。
女性アイドルに限ったように見えて、SMAPの解散も含めた最大公約数のアイドル問題に年齢は関わってくることです。それは受容する者(リスナー、消費者、ファン)の世代にも因果関係があるはずで、自分も最近は聴いている・見ている人はいくつなんだろう?と調べることがあります。一定の年齢においてムーブメント化するのがカルチャーで、その年齢を層で捉えた総称を世代と呼ぶのではないかと、同時に考えるようになりました。
一体いくつの人が何の音楽を聴いて、どんなことに興味を持っているのか。結構アバウトではあるけど、日経エンタあたりが本格的に調査してくれると貴重なサンプルとして有効活用できそうですよね。
話は少し逸れましたが、橋本奈々未が24歳で出した決断について、年齢を中心に世代やカルチャーを築く過程をいま一度検証する時なのでは?と感じました。
・合わせて
SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」
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02. Lady Gaga『JOANNE』は2016年に出しておかなければならなかったアルバムである
もう言いたくて言いたくて仕方がないです。ガガの新作、個人的に過去のどのアルバムよりも好きだ。自身のミドルネームを冠した『JOANNE』は、ガガが先刻した通り、ロックなアルバムに仕上がってはいるものの、それはジャンルとしてではなく、おそらくはサウンドやソングライティングに至るまでのアプローチを指して、ロックなアルバムと称していたんだと思います。
この欄について書こうと思い、一通りネット検索したらこんな記事がヒットしました。
好き嫌いは個人的な物差しによりますが、この「ロック=普通になった」という安易な解釈には少し疑念を抱かざるを得ません。
日本と違い、アルバムからアルバムにかけてのスパンが長く、その間に世界規模のプロモーションとツアーをこなす海外アーティストは、アルバムの形式にしたがって自身の過去をアップデート、もしくは未開の地に足を踏み入れることでアーティストとしての活動欲を駆り立てていく必要があります。その欲は表現に変換され、音楽やアートとして結晶化していく。様々なバックボーンを持つガガにとって、表現に対するこだわりとそれに向けられる情熱は他の追随を許さないほどに。パブリックイメージも合わせ、奇抜で先進的なアクションばかりを求められるたび、彼女は期待を巧みに利用しては予想を超える作品を発表してきたのです。
強烈なビジュアルと高いポテンシャルを兼ね揃え、華々しくデビューしたガガは常に過去の自分の作品によって凝り固まったリスナーの固定概念を壊すことから、音源制作をスタートしなければならなかった。多大なプレッシャーとストレスが彼女を高みに登らせたのは、ある種成功の結果と言えますが、実際、スキャンダラスな側面も含め、”レディー・ガガ”という虚像が自身ではコントロールできない領域まで来てしまっていたのでしょう。それは前作のオリジナルアルバム『ARTPOP』(2013) の過剰なまでのポップネスが物語っています。
そんな過去の重圧とスキャンダラスによってうやむやにされてきたのが、彼女の”ソングライターとしての類稀なる才能”です。紛い物でも飾り物でもない、歴としたアメリカンソングライターの血が彼女の中には流れている。ヒップホップもゴスペルもR&Bも、もちろんロックもカントリーも、彼女のソングライターにおける血中酸素に含まれた音楽養分として息衝いています。
明確な転機はTonny Bennettとデュエットしたジャズアルバム『Cheek To Cheek』(2014)でのレコーディング作業からでしょう。その3年前、2011年にトニーの『Duets II』にて「The Lady Is a Tramp」をコラボレートしている2人は、お互いをリスペクトし合い意気投合。アルバムもグラミー賞を受賞し、このコラボレートが単なる話題作りではないことを証明して見せました。
『Cheek to Cheek』は1930年代を中心としたジャズクラシックが、余計な装飾なく、2人の声と伴奏のみでレコーディングされています。フランク・シナトラやコール・ポーター などを参照に、ガガのジャズセンスに光を当てたこの作品による評価は、間違いなく『JOANNE』につながる布石として重要な作品と位置付けられるでしょう。
無駄な装飾とは時代やアーティストごとに捉え方は違いますが、ガガは今回、今まで自身を奮い立たせてきたプレッシャーやストレスを欲へと昇華せず、無駄な装飾として排除したのではないでしょうか。いや、排除ではなく、受け入れたというのが正しいかもしれません。それらを音楽へのモチベーションとせず、もっと根源的な、自身の出自でもあるDJ/ダンサーとしての体幹に従った脊椎反射、それがレディー・ガガの本質=ソングライティングを活かすことへと結実したのかもしれません。
左からMark Ronson, Beck, Kevin Parker, Florence Welch
Mark Ronsonをメインのプロデューサーに据え、Josh Homme(Queen of the Stone Age)、Kevin Parker(Tame Impara)Beckらがソングライティングに参加。M10「Hey Girl」ではFlorence Welchとデュエットし、Sean Lennonがスライドギター(M8)、Matt Henders(Arctic Monkeys)がドラム(M1)、トランベットをBrian Newman (M2, 13)が務めるなど、クレジットで見ると豪華絢爛、適材適所、堂々たる布陣で製作されたことがわかる。ただ、参加したミュージシャンは徹底して与えられた役割の下、レディー・ガガの音、言葉をフックアップすることに努めており、それらはミュージシャンシップに置いて、ガガが多くの信頼を集めてきたということでしょう。
2016年のトレンドシーンの中で、レディー・ガガの存在は少々希薄だったかもしれません。しかし、ここまでの経歴と説明を踏まえれば、もう彼女がド派手なメイキャップや奇抜なファッショニスタを演じる必要がないこと感じてもらえたはず。トレンドに左右されず、芸事に浮かれず、地に足つけた自分の靴を見ながら紡がれた作品として、やはり『JOANNE』は2016年に出しておかなければならなかったアルバムなのです。
03. cero荒内佑のWeb連載に目からウロコ
cero荒内さんによるウェブ連載が始まったと聞いて早速。すぐさま脱帽。名フレーズのオンパレードでありながら高飛車ではない佇まいにすっと思考が吸い込まれてく。ceroのそれと似ている... 〜第一回ブラジルの手話教室(を想起するまで) https://t.co/a9f4evErtE
— m.jun (@Lockup_1960) 2016年10月26日
最後に、一つ興味深かった連載を。
ceroでは作詞、作曲、キーボード、コーラス、さらにサンプラーなどもこなす荒内佑氏がWebちくまにて連載を始められました。奥ゆかしさや趣がワールドミュージックと密接に寄り添い、日本情緒へと回帰していくようなceroの音楽は自分も大好きで。日本の音楽史、世界のトップチャートで流行するブラッキーなグルーヴに関して、不明瞭なミッシングリンクが羅列されがちなインディーミュージックの中で、明快にceroというランドマークを鳴らしたのは実に批評的で、セルフプロデュースにこだわっているバンドなんだな、と常に感心してもいました。
そんな荒内さんの連載第1回をすぐさま読んで、改めて豊かな創造性を持ち合わせた人なんだと、深いため息を吐きました。多分、こういうのを日記ともコラムとも言わない、優れた読み物と称するんじゃないんでしょうか。
テレビで見た手話を発端に、日常の中で同時発生する良いこと/悪いことのボーダーライン、その線引きをする世間の物差しについて荒内さんらしい言い回しが随所に見られる。答えは一つじゃないが、人が同時に二つの答えを掲示することも、今の世の中許されていない。でも音楽ならば、1曲の中に二つの答えを並べることもでき、不特定多数の人に向けて日常のボーダーラインの在り処を意識させることができる。それらを経験や体験を通した思考から巧みに言葉として置き換えていくこの文章に、自分は何かモノの見方のアレコレを教えられた気がします。
月イチの更新で、次回は11/30とのこと。楽しみです。
9月にシェアされた世界的にも活躍するジャズトランペッター黒田卓也氏の新作『ジグザガー』。そこに収められたボーナストラックにて表題曲「ジグザガー」をceroとコラボレートした際のメイキング。
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