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音楽について

"怖いもの見たさ"に訴えかけてみる~NYの美女、Pharmakonを掘り下げて~

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グロテスク、というとすぐさまスプラッター映画のバイオレンスな描写、もしくは未知の生物、自分の理想とする造形美から反比例するかの如く形成された物体などを揶揄する言葉として用いられることが多い。ここ日本では"グロい"という形容詞が生まれ、若年層を中心に日常生活の中でごく当たり前のように使われていることから、今では”グロテスク”という一つの言葉が複数の意味を持つワードとして何かと面倒な言葉になりつつある。

そもそも"グロテスク"とは16世紀ローマにて植物や人の曲線をモチーフに、回廊や主柱、骨董品における際の造形様式の一つなんですよね。そこから文学、建築、そして今現在に至る一般的な言語としてその意味を膨らませていくことになるわけです。つまりは単に"グロテスク"という言葉が奇形で気色の悪い物を指す言葉ではないのですが…まぁ、これらの説明が今回取り上げるPharmkonに直接的に適用されることではありません。何故なら、ビジュアルやその音楽を聴いて、100人いたら80人ぐらいの人は彼女の構築するサウンドトラックに、理由や意味さえも見出せず頭を抱えることになるかもしれないから。それでもデスシャウトやシリアスなインダストリアルサウンドには野生的で無秩序な"グロテスク"がハッキリ表れているし、その反面、哀愁や慈愛のような様式美としての"グロテスク"な一面も感じられる、そんなアンビバレンスなPharmakonの性質に気を付けながら、ちょっと冒険心をくすぐるようピックアップしたいと思います。

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Pharmakon(ファルマコン)は若干23歳のNYガールMargaret Chardiet(マーガレット・チャーディエット)が身に纏った、いわばノイズの堕天使であり、インダストリアルノイズ、スクリーモ等に分別されていくエレクトロミュージックを生成する存在です。17歳の頃から音楽制作に着手し、当時からノイズやインダストリアルに影響を受けたトラックを完成させていたというから驚き。Swans、Throbbing Gristlesなどと比較される彼女の音楽。しかし、本人はそれらの音楽から直接的なインスピレーションを受けたことはないよう。そこからわかる事は、このPharmakonというプロジェクトはその名の通り"ファルマコン=両面価値"に従った、神秘性と危険性を一つのフォーマットに落とし込んだ音楽プロジェクトなのだろうと推測できるわけです。

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グロテスクという言葉もまさに両面価値、つまりは捉え方や見方の違いを一つにまとめた言葉であり、そこから禅問答のように、ノイズに魅せられた彼女の音楽の意味を各々で考えさせられる。実際、グロテスクなんてマゾヒスティックな印象というよりはサディスティックでドメスティックだし、シャウトやノイズなどを全面に置きながら音圧は適度に抑制してあったりもする。そしてマーガレットのエレガントな容姿とエキサイティングなジャケット。これら両天秤の釣り合いを絶妙にコントロールしているとなれば、実に知的な存在とも思えてくる。
ともあれ、そんな抽象的な表現で彼女を語るよりも聴くが早し。まずは以下の1st『Abandon』を再生してみてほしい。

ウジ虫をセクシャルな身体にばら撒いた1stアルバム『Abandon』。約54分の中にイエス・キリストの生から死までを描いたような壮大なストーリー性がある。個人的な感想なのは当然として、ノイズミュージックにある官能的快楽と騒音のみによるウォール・オブ・ノイズの要素を絶妙にマッシュさせている。まるで神が遊んでのようでもあり、よくよく見れば神が絶命する際の咆哮にも聴こえる。そんな表裏一体が5つのトラック(ボーナストラックは除く)にセパレートされていることで、マーガレットが主演女優として喜劇ならぬ奇劇を演じている様が想起できるはずだし、まさに解釈次第で揶揄にも比喩にも捉えることのできる作品。これは各音楽サイトにて高評価を得たことからも納得できると思う。

Abandon

Abandon

 

 

1stのウジ虫+NYガールの生足ビジュアルがあまりにも衝撃的で、今後このプロジェクトはどんな歩みを見せるのだろう?と心配だったこの1年。アメリカを中心にライヴ活動を精力的に行い(意外?)、その過程を重ねた上で制作された2ndアルバムは、さぞかしマッドな思考にもブレーキが効いて、ノイズやシャウトにもメロディーラインなどがほんの少し仕組まれたりするのかな?と、クリエイターたる挑戦の兆しを垣間見れるだろうと思っていたら…2ndアルバムのジャケットからしてこれです。見事に裏切ってくれました…

Bestial Burden

Bestial Burden

 

 あまり拡大せずに見てもらいたいですし、できればダウンロードでもCDでも構わないので購入することをオススメしたいけど...とりあえず以下にて再生を。


これはビジュアル面からしてストレートにグロいです 笑。もうそれ意外は形容しづらい。そして次に襲いかかるはマーガレットの噎せ返るような息づかい。幾重にもダブされた息から始まるこのアルバムは、そのままの勢いでリスナーを悪魔の館へと誘っていく。この動画では4:45あたりからマーガレットのデスシャウトがまき散らされるのだが...無理はせず視聴してほしいものです...

 

もうここまでくるとPharmakonにおける音楽とその表現の根源何なのか?そればかりが思考を覆い尽くしてしまう。その根源の一つとも捉えられるコメントを先程のレビューから抜粋し要約するなら、彼女自身、思索的で精神的な部分においてのアウトプットを重要視し、それがPharmakonにとってはインダストリアルノイズで、さらには叫びであり、グロテスクなまでのジャケットへと繋がっていっているのだろう。

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確かにインターネットの普及、iPodの誕生、そしてSNSなどのコミュニケーションツールと密接にリンクしたSoundCloudやBandcampの登場によってジャンルは超細分化され、リスナーとしてもクリエイターとしてもインスピレーションを受ける場が急激に増加したと思う。その代償としてインスピレーションの根源が折り重なり、本当の意味での自身の表現を見失うクリエイターもいるんじゃないか。その証としてTwitterなどにおける一点集中型のムーブメントがEDMやチル&Bなどのクリエイターを大量に生み出し、自ずとマイノリティな音は縮小していくことになる。Pharmakonはそれを肌で感じたからこそ、シャウトし、過剰なまでにその容姿に虫を這わせるまでに至った、と。

Pharmkon自信、そしてマーガレット自身、この手の音楽が一つのニッチな存在になってしまわぬように活動しているのかもしれないし、ノイズという万人受けする事の無いエフェクトに自分自身の過去に抱えたコンプレックスを溶かしているのかもしれない。

 

ノイズに心地良さを求めるのは難しいこと。My Bloody Valentineの"ホロコースト"もそうですが、いくら偉大でハイセンスな音楽を生み出そうと背中を向ける人はいます。Pharmakonの音楽はその背中を向けるであろう人にこそ届くかもしれないし、好んで耳を傾けている人に背を向かせてしまうかもしれない。探求心や冒険心の裏には恐怖と後悔が背中合わせに存在していることを確認するためにも、まずは自分に合うモノ/合わぬモノ、どちらも耳に放り込むことから始めてみませんか?

 

人には”怖いもの見たさ”、なんて好奇心もありますからね...